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京都地方裁判所 平成5年(ヨ)809号 決定

債権者

荒武克企

債権者

荒武美喜子

債権者

岩橋俊幸

右債権者ら代理人弁護士

川原俊明

橋田浩

債務者

觀智院

右代表者代表役員代務者

砂原秀遍

右債務者代理人弁護士

安武敏夫

鳩谷邦丸

別城信太郎

主文

一  債権者らの申立てをいずれも却下する。

二  申立費用は債権者らの負担とする。

理由

第一債権者らの申立

一  債権者らが、債務者に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二  債務者は債権者らに対し、別紙目録第一(略)記載の金員を即時に、別紙目録第二(略)記載の金員を平成五年七月二五日から本案判決確定に至るまで毎月二五日(賞与については、別に毎年六月二五日及び一二月二五日)限り、それぞれ仮に支払え。

三  申立費用は債務者の負担とする。

第二事案の概要

一  本件は、債務者の前住職兼代表役員の親族であって教王護国寺(以下「東寺」という。)の塔頭寺院である觀智院(以下「觀智院」という。)の拝観事業等に従事していた債権者らが、債務者の新代表役員によって解雇されたことから、右解雇は解雇権の濫用であり無効であるとして、債務者との雇用契約に基づき、その雇用契約上の地位の保全と賃金の仮払いを求めた事案である。

二  争いのない事実及び疎明資料から容易に認定できる事実

1  觀智院は、従前その建物は歴代東寺住職もしくは東寺において重責にある者の住坊であった。

2  債権者岩橋俊幸は債務者の前住職兼代表役員であった岩橋政寛の妻であり、債権者荒武美喜子は右岩橋政寛の娘(養子)であり、債権者荒武克企は債権者荒武美喜子の夫であるが、右岩橋政寛と共に債務者の使用する建物に居住し、觀智院の拝観事業等に従事してきた。

3  債権者岩橋俊幸に対しては、岩橋政寛が債務者の住職兼代表役員であった昭和五七年一月から、同荒武美喜子に対しては同年一〇月から、同荒武克企に対しては同年四月から給与及び賞与として金員が支払われてきた。

なお、債務者から給与として金員が支払われたのは債権者らが始めてであった。

4  岩崎政寛は、平成四年一月一七日に東寺代表役員を解任され、同年三月一七日には債務者の住職兼代表役員を解任され、平成五年六月八日には東寺真言宗審査委員会で僧侶の身分を喪失させ僧籍を除名する除名処分に付する旨の裁定がされ、同月一六日に東寺真言宗管長鷲尾隆起によって除名処分に付された。

5  債務者の代表役員代務者となった砂原秀遍は、平成五年六月二二日付け内容証明郵便でもって、債権者らに対し、債権者らと債務者との間に雇用契約が存するのか疑問ではあるが、仮に雇用契約があったとしても、債権者らは觀智院の拝観業務に従事するために雇用されたものであり、觀智院の拝観業務を今後行わないことが決まったので、債権者らを七月末日をもって解雇する旨の通知をなした。

三  争点

1  債権者らと債務者との間に雇用契約があったか。

2  仮に債権者らと債務者との間に雇用契約があったとしても、右雇用契約には岩橋政寛が債務者の住職兼代表役員の地位を失うことによって当然にその雇用契約上の地位を失う旨の特約があったか。

3  本件解雇は解雇権の濫用であるか。

4  本件仮処分の保全の必要性があるか。

第三当裁判所の判断

一  争点1(雇用契約の存否)について

(証拠略)によると、債務者の住職兼代表役員であった木村澄覚の死亡により、岩橋政寛が昭和五一年五月六日に債務者の代表役員(住職)に就任したこと、岩橋政寛が債務者の代表役員兼住職に就任以降、觀智院の拝観業務が開始されたこと、債権者らは債務者の経理事務を含む寺院の維持管理業務及び拝観業務に従事してきたものであること及び昭和五七年から債権者らに対し、所得税を源泉徴収のうえ給料として金員が支払われてきていることが一応認められる。

これらの事実を総合すれば、債権者らと債務者との間に雇用契約があったことが推認できる。

債務者は、債務者から給与を支払われたのは債権者らが初めてであること、岩橋政寛以前の債務者の代表役員兼住職であった木村澄覚や山本忍梁のときには債務者から代表役員兼住職の親族や身の回りの世話をする者に金員が支給されたことはなく、身の回りの世話をする者に対し代表役員兼住職自身が手当てを支給していたにすぎず、岩橋政寛の親族である債権者らについても、債務者との間で雇用契約があったとは認められない旨主張する。

しかし、債務者は岩橋政寛が代表役員兼住職となってから觀智院の拝観業務を開始し、単に住坊として使用していた岩橋政寛以前とは事情が異なっていることに鑑みれば、債務者から金員を支払われたのが債権者らが初めてであることや、従前身の回りの世話をする者への手当ては代表役員兼住職自らが支出していたとしても、債務者と債権者らとの間の雇用契約の推認を妨げるものではなく、右債務者の主張は採りえない。

二  争点2(雇用契約の特約の存否)について

債務者は、觀智院が東寺第一の塔頭寺院であり、従前東寺歴代住職もしくは東寺において重責にある者の住坊であったことから、債務者の代表役員兼住職がその任を解かれた場合その親族が債務者の従業員として残ることになれば、もはや觀智院は住坊としての役割を果たせなくなることから、債務者と債権者らとの間の雇用契約も岩橋政寛が債務者の住職兼代表役員たる地位を失った場合その雇用契約上の地位を失う特約があったと主張する。

觀智院が東寺第一の塔頭寺院であり、従前東寺歴代住職もしくは東寺において重責にある者の住坊であったこと及び岩橋政寛が債務者の代表役員兼住職に就任してから拝観業務をも行うようになったことについては当事者間に争いはなく、拝観業務を行うようになってからは、觀智院は東寺歴代住職あるいは東寺で重責のある者の単なる住坊ではなくなっていること、債権者らは拝観業務に従事していたことなどに鑑みれば、觀智院が再び単なる住坊となるために債権者らに対する解雇が認められるか否かはさておき、従前觀智院が住坊であったことのみをもって、債務者と債権者らとの間の雇用契約が岩橋政寛が債務者の住職兼代表役員たる地位を失った場合当然にその雇用契約上の地位を失う特約があったとまでは推認しえず、他に債務者の主張を認めるに足りる疎明はない。

三  争点3(解雇権の濫用か否か)について

債権者らは、債務者による拝観業務停止措置は岩橋政寛の支持者である債権者らを觀智院から追い出そうとするための不当なものであること、債権者らは觀智院の拝観業務の他に寺院及び寺院内の国宝である客殿、重要文化財等の宝物についての維持管理業務に従事してきたものであること及び債務者は債権者らに対し配転、業務内容の変更等の措置をとるべきであったにもかかわらず安易に解雇権を発動したものであることから債務者の解雇は不当であり、解雇権の濫用に当たると主張する。

これに対し債務者は、東寺長者の健康状態に照らして、觀智院の建物を当面長者の住坊として使う予定はないが、平成五年四月二九日から觀智院の拝観業務を停止し、以後觀智院は宗団の子弟教育の得度、得牒、加行等の道場、更に教師養成(西院流、勧流の相承)専門の道場として使用する予定であること、右道場で債権者らを雇用する余地は全くないこと、觀智院の維持管理については、東寺の職員をもってあてれば足りること及び債権者らの給料は觀智院の従前の拝観業務からの収益のみであるところ、債務者としては今後拝観業務を行う予定はまったくなく、右拝観業務の停止は一般私企業における事業の完全廃止に当たることから、觀智院の拝観業務のために雇用された債権者らを解雇するのは相当であると主張する。

(証拠略)及び審尋の全趣旨によると、觀智院は、東寺教学の基礎を築いた杲宝により創建され、江戸時代には徳川家康によって真言一宗の「勘学院(最高の学問所)」であると定められた寺院であること、東寺及び東寺真言宗においては東寺創建一二〇〇年慶讚事業を平成七年に控え、人材の育成が大きな課題となっていたところ、従前本山たる東寺に人材育成の場がないため、東寺において「伝法灌頂」(教師資格の付与の要件となる)を行うことが戦後なく、その結果教師資格を他宗派で得るしかなかったこと及び東寺長者の健康状態から觀智院の建物を当面長者の住坊として使用する予定がないことから、宗団として觀智院を教師養成の道場として使用する許可を東寺本山に願い出ていたこと、これを受けて宗議会及び債務者の責任役員会で觀智院を教師養成の道場として使用することが承認可決されたことが一応認められる。右各事実並びに觀智院の一般拝観が岩橋政寛によって始められたことに照らすと、債務者が觀智院の拝観業務を止めることは債権者ら主張のように債権者らを追い出すためのものとは認められず、觀智院の拝観業務終了の目的は不当なものとはいえない。

また、債権者らが主張する觀智院の維持管理業務については、(証拠略)によると、債務者が拝観業務を開始する以前のとおり、東寺の営繕係あるいは文化財の専門職員で足り、債権者らがいなくなっても敢えて別の者をそのために雇用する必要はないことが一応認められる。

さらに、前述の如く、觀智院は今後東寺長者ないし東寺で重要な地位にある者の単なる住坊に戻るわけではなく、教師養成の道場として使用され、しかも(証拠略)によると右道場は「東寺伝法学院」というかなり組織だったものになることが一応認められるところ、債務者が右道場の場所として、觀智院の建物を提供するだけであれば、債務者として何らの事業を行うわけではなく、債権者らを雇用する余地はないといわざるをえないが、債務者が右道場の運営にかかわる場合には、むしろその事業内容の転換といえ、配置転換等の方法を債務者としては考慮すべきところではある。しかし(証拠略)によると、予定される教師育成の道場の入学者数は少なく、そのため教授への謝礼もでない事態が予想されていることなどから、右道場において、債権者らを配置転換のうえ雇用する余地はないことが一応認められる。

以上のとおり、觀智院の拝観業務の終了はその目的において不当とはいえないこと、右拝観業務終了後、債務者において債権者らを雇用しうる余地はないこと、本件は債務者に雇用されていた全従業員が解雇の対象となっていることから人選の合理性などは問題とならないことなどに鑑みれば、本件債務者による解雇は解雇権の濫用とはいえないと解される。

四  よって、本件仮処分の申立ては被保全権利の疎明がないものといわざるを得ないから、その余の点について判断するまでもなく、本件仮処分をいずれも却下することとし、申立費用については債権者らの負担とし、主文のとおり決定する。

(裁判官 川畑公美)

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